イタリア料理の歴史

イタリア

現代イタリア料理の基盤は古くローマ時代(※)に求められます。当時から1日3食の構成をとり、うちメインの1食を、現代のプリモ、セコンドに似たコースで2〜3時間かけてゆっくり食事を楽しんでおり、主食はプルスという小麦粉の粥。調味料としてはガルム(魚醤のようなもの)、オリーブ油、サーパ(モスト由来の甘味料)、蜂蜜などが使用されており、2000年前としては、かなり高度な食文化をもっていたこととなります。またチーズもローマ軍の遠征兵士のスタミナ源として携帯されたことが契機となり、帝国の発展とともに欧州各地に広がっていきました。
※ローマ建国はBC753年、BC30年ローマ帝国となり〜476年ゲルマン民族侵入により滅亡

その後他民族からの侵略を受けつづけたため、食文化に関する文献が残っておらず正確な考証は不可能ではありますが、各地の自治都市の形成に伴い食文化も地方色の濃いものとなっていたと推察できます。しかしながら、食に対する高度な先進性はこの時代も受け継がれており、中世、南イタリアのサレルノは西洋医学の先進地として名高く、当時の医師たちにより『養生訓』が編纂されています。この『サレルノ養生訓』は食事療法や食生活についての具体的な処方や、節制や適量を守ることの大切さを助言しながら、大衆に対して医食同源を説いており、1000年の昔に地中海式ダイエットの原点を見ることができます。

12〜13世紀になると、手打ちの生パスタとして現代のパスタの原型が出来あがってきており、14世紀にはパスタの生産業者も出現しています。またこの時期、トスカーナの料理人によってレシピ集も『料理の本』として執筆されており、15世紀〜16世紀ルネサンスを迎えるころには、エステ家の執事長によって宴会料理の構成などを記述した著作など、料理と食文化に関する出版物が出され、他国に類をみない高度な食文化をもっていました。フランス料理の原型となったと言われている、フランス皇太子に嫁いだメディチ家のカトリーヌが従えていった料理人たちの料理も同じ時代のものです。この時代のイタリア人の味覚基調は、甘酸味、甘辛味であり、塩や酢と蜂蜜などがソースに使われていました。

ところが18〜19世紀に至るわずか100年の間に、この国は食生活の革命的な変化を起こします。その契機となったのが16世紀に大航海時代を背景にナポリにたどり着いた”トマト”です。トマトは最初観賞用として扱われるも、ナポリ人たちの熱心な品種改良により18世紀に食用されるようになりました。このトマトの改良と時期を同じくして、パスタの工業化の動きがあり、大変な労力のかかったパスタの押出しが機械によって行われるようになり、いわゆる“トマトとパスタの出会い”という歴史的な出来事となります。現代イタリア料理評論家ボォナッシージ氏は『パスタ宝典』の中で「イタリア料理におけるトマトの採用は当時の甘酸味、甘辛味の多くの調味料を忘却の彼方に押しやる偉大なる革新をもたらした」と表現しています。

19世紀になるとパスタの人工乾燥設備が考案されパスタの生産性は飛躍的に向上、イタリアのパスタは欧州各国や米国まで輸出されるようになりました。また、1880年から1920年にかけて400万人にのぼる南イタリア人が米国に移住、イタリア食文化もあわせて輸出していくことになります。彼等を原点に米国にイタリア食が広まり、現在ではアメリカの第2国民食と言われていますが、栄養学的な価値を顕在化させ、世界的な脚光を浴び始めるのは1975年のアンセル・キース教授、1983年のロベルタ・サルバドーリ女史の『地中海式ダイエット』が著されてからであります。これらを契機としてイタリア国内でも南イタリアの食事が見なおされはじめ、米国でもイタリア料理をベースにした“カリフォルニアキュイジーヌ”に発展しています。そして現在では、中国料理に次ぐ喫食人口をもつのではないかとも言われています。

近年の動きとして、大量生産による食の均質化、合理化に対するカウンターカルチャーとして“スローフード”という概念がイタリアから発信されています。イタリアのスローフード協会は「急ぎ足の生活」が習慣や文化を崩壊させつつあることに危機感を感じ、郷土料理の風味と豊かさを再発見しようと各種の活動をしています。彼等の集会では、良い食生活がどのように私たちの精神・肉体両面の健康増進につながるか、なども真剣に議論されており、根底に流れる思想がイタリア食文化に立脚していることを考察すると、これからの時代もやはりイタリアは高度な食文化の発信基地であるといえるのではないでしょうか。